【日常】幸か不幸か。

日本人は苦境に強い民族であると思う。


今回は他国の支援もあって、それを受け入れる柔軟さも得て、確かに世界的に強くなってきているけれど。

元々は島国だからこそ、という部分で何でも自分たちで解決しようとしてきた民族。


他国の支援を受け入れることが、日本人、という種族にとって、幸か不幸か。


そんなことを最近は考える。


ただ、確実に言えることは、今救える命を、体裁や自分たちのキャラクターを優先させて、失うような人間に明るい未来はない、ということ。

それだけは確実に、人間が持つべき倫理だと思えるから。


自分は人の根本を無視する人間が嫌いで

これからの日本を好きになれそうな気がしてきました。



人は忘れ去くものだけど

今回は放射線問題もあるから、人の中で少しでいいし、自分のように命に対する考察を常々抱えている人間が残ってくれることを祈りたいです。


ブログでは自分の過去について、丁寧に語ったことはありませんでしたが。


私には物心ついた頃には、既に祖父、と呼べる人物は居ませんでした。

父方は父親が中学生の頃、まだ父親だった頃に亡くなり、母方は自分が幼稚園くらいの頃に鹿児島で息を引き取りました。

自分は祖父を知りません。


幼少期、父親は海外出張手当てを得る名目もあり、一年の殆どを海外で過ごしていました。

自分は父親、というものが、どういうものか、あまり分からず、自分の父親も父親、というものが、どういうものか、あまり分からない。

そんな家庭で育ちました。


命とは。
生とは。
繋がりとは。
家庭とは。

なんなんだろう?
なんなんだろう?

と、日々を過ごしてきました。


故に自分が今つながる人達に対して、ひとりひとり丁寧に出会った意味を考えます。


何故?

何故?

何故?と。



自分が普通ではない日々を過ごしてきたと悟った日から。


自問自答を整理する場所が、作詞ノートからホームページの短篇詩に移り、ブログにこうして綴られてゆく。


故に、自分の幸せにあぐらをかいている人物も自分は嫌いです。


常にナニカが欠けている。

欠けているからこそ、求めるわけだから。



今回、沢山の人の沢山のものが欠けて、辛い日々を過ごす人も今までの比じゃないくらいに増えるでしょうけど。

きっとそういう人は何かを求めて動きだせるから。

強くなる。


そう、胸を張れる自分が居ることを。

今は両親に感謝していたり、するのです。