【日常】変わったなぁ…と思うこと。
約6年、工場勤務をしていたせいもあってか
飲食店や娯楽業って変わったなぁ…と思うことが多い。
勿論、変わってない人も居て、変わってない人=高校時代からアルバイトをしていた人間で、適切な作業教育を受けてきた人間、と言えるけど。
10年前、飲食店や娯楽業の従業員教育と言えば、マニュアル以上に人から教わる部分が多かった。
例えば
「綺麗な仕事だけしたがる人間は、一人前になれない」と
まず新人は掃除やセッティング関係、雑用から業務教育を受けたけど
今の飲食店・娯楽業は調理・接客業など、仕事の外側のイメージから教えることが多い。
推察だけど、人の忍耐力や思想が変化したんだろう、と思う。
しかしながら、掃除は基礎中の基礎である。
綺麗な飲食店は料理も美味しく感じるし、水気のあるものは匂いが付着、変化しやすい。
何より、安全に食事や飲み物を提供できる利点は強いし
視界をクリアにする意味でも、色々な分野において、定期的に整理整頓と清掃をする意識。
所謂、情報整理と環境整備は自分を高める単純で重要な作業だと感じます。
なので、自分自身を律するためにも、清掃と整備には必要以上の時間を割きます。
こうして記すこともまた脳内整理と脳内整備。
書くことで得られるもの。
清掃から得られるものは偉大です。
例えば、前にも書いたけど
綺麗なお店かつ、鮮度管理をしっかり丁寧にやっていれば、人間の味覚の殆どは嗅覚主体なので、普通の肉でも、高級肉に匹敵するくらいのパフォーマンスは得られます。
「芸能人、格付けチェック」とかで高級肉を間違える一流芸能人が居るのは、扱うお肉の質以上に、調理環境の大切さを表していると思います。
高級肉を扱うお店は高級肉の価値をわざわざ下げて安く売っては意味が無い。最悪赤字だから、安く売らなくていい調理方法や環境を整えてきた。そこが一般的なお店との格差です。
清掃が価値を高めることだってあるわけですね。
そして、そういう思想の変化が薄利多売を助長しているのでは?と考えることがあります。
表示価格を下げ、原価の安いもので収益の調整をしないと利益が得られないのは、高い品質のものを胸を張って高く売れる環境が無くなってきているからだと思います。
正しい精神の流れが、高度経済成長で失われ、バブルの崩壊で変質した。
楽じゃない「楽しさ」というかね。
それを知っていて、コントロール出来る人間ってかなり少なくなったんじゃないだろうかと。
東京にきて、そんな精神が変質した人を沢山見て、がっかりもするのだけど、ちゃんと人から受けた教育というか精神を繋げてくれている年齢的に若い人達を見ると、少し安心もします。
まぁ、年齢的に近くても、精神的に脆弱な人間も沢山居ますから、世の中、千差万別だな、と。
今日は珍しく日曜休みです。
携帯変えて、今日のノルマを達成しよう。