【音楽】名言。

ふとした時に人が放つ真理が好きです。


昔、音楽の師と仰ぐ人物が、ほろりとこう語りました。

「他人の賛美は受け入れてもあてにせず頑張りなさい」と。

ずっと自分が考えてきた思想を具現化してくれた一言だったから、さらっと放ったようにみえたその言葉が嬉しかった。


何事もそうですが、自分が満足した段階でその道は行き止まりです。


行き止まりたくないなら、満足せずに努力しなさい、と放たれたその一言。

今も大切にしています。



芸能学校で歌の授業を受けていたときのこと。
第一コマ目の授業で師はこう仰いました。

「君が何をどう歌いたいのかが分からないから、原曲の良さが伝わらない」と。

要は「それはカリキュラムとして発表を要求されているカバーではなく、コピーレベルだ」と。


当時は地声歌唱のスタイルで、無理矢理ミックスを張って出してました。

完全に上杉さんとか吉井さんに感化されていて、それが自分のボーカルだと思い込んでいて

ずっとずっと「上手いけど、何かが足りないんだよな」

と、講師であった師を含む、たまに授業を見に来てくれていた卒業生もそういう意見を自分に課してくれました。


何かが足りない。


その何かを見つけるため、自分の歌が変声期から変貌し過ぎてしまっている疑問もあわせて解消すべく、ボイストレーニング本を読み始めました。


当時、疑問は深まるばかりでした。


技術としてはしっかりと息を送っているし、声も出ているし、ピッチも地声だからかなり安定的でミックスさえ頑張れば、歌として成立するはずだった。


けれど、成立しなかった。
人の背中を追い掛けていたがゆえの失敗だったと思います。



色鉛筆に例えるなら

いちボーカリストとしてしっかりと立つということは

新しい色を作ることだと思う。

他の色鉛筆より書きやすい形状にすることでも、他のペンより目立つ形や大きさにすることでもない。



二十歳前後は無理矢理にでも自分が好きな色と同じ色の鉛筆になれないものか?と足掻いていた時期。

しかし、自分にはすでに新しい色があって、でもそれを大切だとは思っていなかった。


一通り自分の中で、足掻いた結果。

自分の色にたいして素直になろう。

と、今の歌唱に行き着く。


だからこそ、他人から歌にたいして意見を求められたとき。
その歌がまずその人の色に適合しているかどうかを歌全体で判断する。

人それぞれの色を見つけて欲しいから、そうする。

また、厳しい言葉の中には、自分を上昇させるエッセンスが沢山つまっているから、厳しい言葉も大切にする。


名言はそんな親身な言葉の中にあるように思う。



まだまだ名言に出会いたいから。

満足なんてしていられない。


何より、沢山のエッセンスをくれた人達にたいして、満足をしないことも含めて、誠意を示したい。